『芸妲の家』より         張文環

Zhang Wenhuan

Illustration by Legend Hou Chun-Ming

采雲の本当の産れの親は土方の家であつた。従って父一人が病んでしまったら、母は人の家へ洗濯物を取りに行ったり茶選りに行ったりして、かろうじて家計を立てていた。采雲も六つのときから昼間は弟のお守をして、夜は按摩さんに雇われていた。一と晩じゅう按摩の手を引いて、按摩の笛を背中に聞きながら町を廻るのだった。一と晩が拾銭で、夜中の一時頃になると按摩さんもお肚が空くのでおそばを食べるついでに采雲もおそばのおやつがもらえるのである。それがこの家の母の親戚の家に呼ばれて按摩してるとき偶然にこの母に見込まれて、三百円で買われてきたが、そのときも、采雲はたとえ貧乏はしていても買われるのがいやでならなかった。

「お母さん、私を売らないでよ。」

采雲は幼いながらも恐ろしいような気がしてならなかった。何かしら悲しくて泣きたくなるのである。

「行ったほうがいいよ。お父さんやお母さんもたすかるし、按摩の手を引いて歩くよりも楽だよ。あの家はいくらかお金を持っているから。」

「お母さん、私はお母さんの所にいて、いつまでも按摩さんの手を引いて歩くよ。ちっとも苦しくないから。」

母は怒ったが、後で泣いていた。自分も泣いてから、後で笑い出したことを采雲は大きくなっても思い出すのである。何故笑い出したのか思い出せないが、しかしそのとき采雲は幼いながらも、他所の家に行った方が、すなわち家を助けることが出来るということだけは、ぼんやりと理解しているようであった。笑い出すことは、采雲は小さいとき独りで泣くと余計に悲しくなるが、大勢で泣くと面白くてしようがなかった。母も泣いてるからそのために采雲は悲しさを忘れて笑いたくなったらしい。采雲はそのために芸妲をやらされても、産れながら不幸の重荷を背負わされていると思って諦めるのである。

月のある晩、采雲はやはり按摩さんの手を引いて、寂しそうな笛を背中に聞きながら路次から路次を渡り歩いた。夜更けになった。按摩さんは男の歌唱いと路次でかちあって、采雲の按摩さんは余韻をのこすような笛をピーと吹いたので向こうから、

「阿粉姉さん、御精が出ますね。」

「ええ、あんたこそよく働きますわね。声がかれませんか。」

それから二人は采雲と男の歌唱いの息子を残して、ながく立話をするのである。終いにあたりに気を配るような振りをしてささやき合うのである。右側の白い壁は半分くらい平屋の屋根の蔭をうけてくっきりとした三角型を描いていた。采雲はその歌唱いの息子が嫌いであった。采雲よりも二つ歳が多いだけで、いつも采雲にいやらしいことばかり教えるので、しまいに采雲は、阿粉おばさん、と急き立てるのだった。すると阿粉という按摩さんはまた少し戸惑いしだすようなあわてた様子で手探るように、采雲の手に引かれて歩きだすのである。月琴の音はまたビンビンと反対側の方の陰に消えて、ひっそりとした夜気がひしひしと迫って、采雲は眠むたくなるのだった。すると按摩さんの笛までがさむざむと背中にしみて、床のなかが恋しくてならなかった。屋根のうえでさえてる月をみていると、世の中で一ばん仕合せなものは、夜になると、外に出ずに屋根の下のあたたかい布団で眠むれる人達のことであると采雲は考えるのである。

しかし、采雲は晴着を着せられて、この家に買われてから、公学校へも寄こしてくれるようになった。はなのときは新しく父母と呼ばなければならぬ人達の顔色を窺いながら御飯を食べていたが、やがてそれもなくなり、采雲ははじめて可愛がられていることを知ったときはうれしかった。普通の子供と同じような着物が着られるし、夜も按摩さんの手を引かずに、布団の中で按摩さんの笛をききながら、あたたかそうな満ち足りた気持ちで、阿粉おばさんの手は誰が引いてるだろうと思いながらその子供の顔が見たくなって、いつのまにか眠てしまうのである。

公学校を卒えたのは十四のときで、采雲は毎朝早いうちから静かな港町を通って福興茶行へ茶選りに通っていた。貰い子とはいえ、丁度この家に子供が出来ず、独り子なので、采雲は仕合せであった。公学校を出たので出来れば、女店員か女事務員になりたいと采雲は願っていたが、丁度世のなかは不景気とさわいでいるときなので、采雲の希望は叶えられそうもなかった。しばらくミシン工場に這入っていたが、体がつづかなくて、三月も勤めないでやめてしまった、そのとき母の親戚の女が母に、采雲のような利巧なうえに可愛い子なら、芸妲になれば一と財産稼げる、とすすめて母の心をうごかしたが、采雲がいやがるというので、その話はしばらく立消えとなって、母子二人はまた毎朝茶行へ通いつづけた。采雲は十六になった。あたかも野原に置き忘れられた花の種子がいつのまにか芽生えて、雑草のなかから一輪の薔薇が露を含んで咲きだした。貧しい娘の美しさは不幸のもとにもなるのである。保護される籬もなければ、守るべき経済的な力もない。ただ残されてるものは精神的な力があるだけだ。茶工場で采雲は際立った一人の美しい女工として、毎日母を得意がらせていた。

「あなたの美しい娘さん。」

自分の生んだ娘ではないが、しかし結局はうんだような形にもなっているし、またそういうような気持もするので、お腹を痛めた思い出をするように、しみじみと美しい娘を生んだ喜びにひたるのだった。

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采雲の母は或る日同じ工場で働いてる古顔の阿春婆さんからこんな話を持ち込まれた。つまり茶行の主人が采雲に惚れて弱っていると云うのである。

「莫迦にしている。」

采雲の母は顔色をかえて、阿春婆さんを睨みつけるように云った。

「惚れるという言葉をつかう歳ではないじゃありませんか、もう六十にもなる爺さんの話をこんなところへ持ってきて話さなくてもいいではないか。」

采雲の母のふくれてる顔はぷいと横を向いてて阿春婆さんをみるのもけがらわしいようであった。

「そう先走って怒らなくてもいいよ。それがね、私に云ってるだけだよ。もしあの娘が三晩自分と一緒に別荘へ行ってくれるのなら、六百円と金の腕鐶一対贈りたい。こんな歳をして、自分でも恥しいけれど、向うはやはり秘密を守ってはくれないのだからね。とこう云うんだよ。」

「.........」

「そりゃほんとですよ。お爺さんと孫のような歳の違いですもの、仮りにあんたの方で承知しても、世間の人は黙っていやしないからね。」

「よしなさい、阿春婆さん。そんな話は私に云わなくてもいいよ。」

「いいやね別に私がどうしようと云うわけではないよ。あんたはほんとに、喜んで貧乏をする人だと感心してるよ。もし私なら、拾った金と思って取ってしまうよ。喜んで貧乏するのは昔の読書人だけだからね。私達は読書どころか、自分の名前さえ書けないから。ああ、大変油を売ってしまった。そろそろ私も帰りましょう。それはそうと、あんたもたまには家へ遊びにきてもいいじゃないの、私にばかり来させてさ、どうも綺麗な娘を持っている人は鼻息が荒くていけないよ。」

これには采雲の母も顔をくずさずにはおられなかった。

こんな話はむろん采雲は聞かなかったが、その後母は茶行へ行くのを怠気て、采雲一人に御飯を炊かせたり、茶選りに行かせたりして、母はこの頃気むずかしくなったことだけは気づいていた。どうしたのだろう、と訊いても返事をしてくれないし、左官屋の親方の所からかえってきた父をつかまえては、母に薬を飲ませなくてもいいものかと相談してみるが、元来、父は女性的な男で、賃銀をもらってもそっくりそのまま母に渡し、自分達の一日じゅうの衣食住を切りもりしてもらっていた男である。きくところによると母の若い時も身持があまりよくはなかったが、それでも父は堅く夫婦の仲を信じて母を疑わなかったので、この家にいくらか金を残すことが出来たと云われていた。今でもたまたま家にくる人を、父の仕事仲間にしては母の態度が余り親切すぎるような感じをうけたこともあるが、しかしそれはただ母の若かりし頃の器量を思わせるだけで別にこれと云って取り立てて、疑う筋合もなかった。そんな父であるから采雲にはたよりなく思うが、きつい母の性格にしてみればむしろいい配偶者であった。采雲はしかし母の不貞寝のような気性には時折むかついてくることもあるが、これも男に甘やかされた女の姿だと思えばどうしようもなかった。

それで誰も采雲の母は、誰にも気づかれないでお金が貰えることに就いて悩んでいることがわからないのである。誰にも気づかれないで金が貰える。これが一つの魅力となって母の心に喰い込んだのか、采雲の母はこの頃いよいよ考え出したようであった。それがもし密淫売ならともかくもあんな名士からたった三晩で、こっそりとお金をもらうということはわるいことだろうか。娘は疵つけられて、没落して行くのならともかくも、疵というものは、目立つから疵になるもので、目立たない疵なら自分でも忘れてしまうものである。そういえばこの秘密はこっちより向うが守りたい秘密であればなおさら疵にならない。秘密にさえなれば娘の不幸になるよりも、仕合せにさせる見込みがある。人の噂も七十五日と云うんだから、その秘密もいつのまにか娘の悪夢だけで終ってしまうだろう。残されるものは一千円と金の腕鐶という現実だけではないか。采雲の母は目がかがやいてくるのである。そうだ腕鐶はそう重くなくてもいいが、せめて一千円くらいなら考える余地がある。そうだ一千円にきめよう。しかしこの話はもうこちらから、盛返して云うのはいけないから、気を長くして、向うからふたたび言い出すまで待つのが有利になるのである。一千円の取引と思えばいくらでも気長に待てるのだ。采雲の母は心にそう決めると、ふたたび起きて、娘と茶行へ通い出し、今度は出来るだけ機会を狙って、娘にときどき主人の前を通るように、采雲の母は娘の手を引いたりするのである。彼女は娘の化粧にも心を配るようになり、着付けも自分がときどき目をつけてやったりした。そういう母を采雲は知らずに、一人で茶行に通うよりも、母と二人で通い家庭が明るくなるうえに、采雲は母がもとのようにやさしくなるのをみると、朗らかに工場で笑いだしたり、冗談など云ったりするのだった。

お節句をすぎても、阿春婆さんはまだそういう話を切りだそうとしなかったので、采雲の母は心のなかで、どうしたものだろうかとまごつきだした。今更ここからまげて行くのもどうかと思うし、かといってみすみすそんな金を取り損うのも果してこの一生に於て後悔しない事であろうか、と自分の生活環境などを思い比べてみる。しかし黙って待たなければ不利な立場に廻わされるので構うものか、と焼け気味な諦め方をして、ときどき娘を連れては太平町あたりの化粧品店や呉服店を歩いてみたりして、思いやりのいい母親の態度を見せて采雲を喜ばせた。案の定、阿春婆さんはまた茶行の主人に急き立てられたと見えて、今度はもしほんとの商人の取引ならば、水を向けるような態度にとどまって、采雲の母の心の動きを見るのが普通であるが、阿春婆さんは主人の性急な態度に肚を立てたのか、じれったそうな面持で切りだすのである。

「そりゃ、私も主人に云ったよ。」

采雲の母は素知らぬ顔でいるけれど、しかし阿春婆さんは言いたいことだけ言っても相手が肚を立てることはないと見て取ると言いつづけた。

「お姫様のような美しい娘を六百円で自由にしようと思ってるのは大体了簡が悪いとね。でもね、ほんとに自分のものになるとか、または公然と発表した、自分の抱えてる女ならば、六百円どころか、あれ位の顔立なら三千円は間違いなく取れますよ。しかしたったの三晩だけでしょう。しかもあれ位の歳だし、世間態が悪いから絶対秘密でなくてはならないと云うんでしょう。」

「そんなことは、私達には関係がないよ。」

采雲の母は不意に云ったので、阿春婆さんは彼女の顔を見すかしたように、心のなかでしめたと叫んだ。話がわかれば後は相談次第だ。お金は倉のなかでざくざくうなっているんだから、阿春婆さんは直ぐ彼女に希望を持たせるように、またぺちゃぺちゃと巧言令色の腕を振いだした。采雲の母もおしまいになると釣り込めまれて、冗談半分のような態度で、思い切って、もし自分がそんな娘を手に入れようと思うのなら、少くとも一千円以上出す覚悟がなければ口に出さないと云って、阿春婆さんの顔色をそっと窺ってみた。ここだけは同じ狸だと言いながらも、阿春婆さんの方は少しうといようであった。彼女はただ先刻の喜びで顔が開けっ放しになっていることは早くも采雲の母に見取られたものだから、もうこれ以上口をきいては駄目だと心に決めた。そして素早く人の心を見取ることが出来た自分の感覚を吾ながら偉いと思った。

こうして結局二人は気の合った話し相手のように、極めて和やかな気持ちで、ふたたび阿春婆さんの返事を待つことにしたようであった。阿春婆さんも独言の如く主人の御意向をもう一度伺ってからまた御返事をしようと云って帰って行った。阿春婆さんが帰って行くのをみると、采雲の母は足が浮いてくるような気がした。胸がどぎまぎして、喜びと不安が一どきに詰ってくるのだった。もし自分の要求通りに承諾したら、どうやって采雲を納得させることが出来るだろう。彼女はそれを思うとそわそわしだしてくるのだった。



(本作は、株式会社新宿書房と張玉園氏の許可を得て、黒川創編『〈外地〉の日本文学選1:南方・南洋/台湾』新宿書房(1996)に所収の「芸妲の家」より一部を転載したものです。漢字・仮名遣いはすべて同書中の表記に順じます。)

Excerpted from Gaichi no nihongobungakusen 1, published by Shinjuku Shobo Co. Ltd. (1996). By permission of Zhang Yuyuan.