『氷島』から

萩原 朔太郎



赤く燃える火を見たり
獣類の如く
汝は沈默して言はざるかな。

夕べの靜かなる都會の空に
炎は美しく燃え出づる
たちまち流れはひろがり行き
瞬時に一切を亡ぼし盡せり。
資産も、工場も、大建築も
希望も、榮譽も、富貴も、野心も
すべての一切を燒き盡せり。

火よ
いかなれば獣類の如く
汝は沈默して言はざるかな。
さびしき憂愁に閉されつつ
かくも靜かなる薄暮の空に
汝は熱情を思ひ盡せり。







虎なり
曠茫として巨像の如く
百貨店上屋階の檻に眠れど
汝はもと機械に非ず
牙齒もて肉を食ひ裂くとも
いかんぞ人間の物理を知らむ。
見よ 穹窿に煤煙ながれ
工場區街の屋根屋根より
悲しき汽笛は響き渡る。
虎なり
虎なり

午後なり
廣告風船は高く揚りて
薄暮に迫る都會の空
高層建築の上に遠く坐りて
汝は旗の如くに飢ゑたるかな。
杳として眺望すれば
街路を這ひ行く蛆蟲ども
生きたる食餌を暗鬱にせり。

虎なり
昇降機械の往復する
東京市中繁華の屋根に
琥珀の斑なる毛皮をきて
曠野の如くに寂しむもの。
虎なり!
ああすべて汝の殘像
虚空のむなしき全景たり。
          ──銀座松坂屋の屋上にて── 





虚無の鴉

我れはもと虚無の鴉
かの高き冬至の屋根に口を開けて
風見の如くに咆號せむ。
季節に認識ありやなしや
我れの持たざるものは一切なり 



Click here to read an essay on Hagiwara Sakutarō by Hiraoki Sato.


A translation of Hagiwara's book of poems The Iceland is forthcoming in June from New Directions.