奈良美智インタビュー

古川日出男


*記事中敬称略

古川=古川日出男さん

奈良=奈良美智さん

岡本=岡本小百合(ASYMPTOTE)




Topic 1: 老いとアーティスト


古川: 今日はインタビュー前の雑談に出てきた「加齢」の話から始めたいと思います。奈良さんの制作に加齢はプラスに働いていますか?

奈良: 体力的にはマイナスだけど、ものの見方としてはプラスかな。細かいものが見えないかわりに大きなものが俯瞰できるようになったから。細部がほとんど見えない変わりに大きなものが見えてるような感じがあって、老眼鏡かけて細部を無理に見ようとするより、そのほうが気持ちがいいです。

古川: 視界が変わると、アウトプットも変わりますよね?

奈良: そうですね。いい意味で適当になりました。核にある大切なものができているなら、少しくらい外が崩れてても気にしなくなったというか。昔は細かいとこばかり見て描く傾向があったんだけど、近寄らなきゃ見えないものをなんで無理して近寄って描いてたのかな、と。ライフサイズの距離感でいいものができるのが一番じゃないかって。マティスがね、初期はほんと小さな画面で見える範囲でしか描いてなかったのが、晩年になって見えないくらいおっきいものを描きだすんですよ。切り絵なんかでも輪郭や明暗や色使いが大胆で無節操になって、逆にすごくおもしろい。反対にダリは、歳とってからも若い頃のような絵を老眼鏡かけて同じような絵を描いてて、これが全然よくない。

古川: 自分の過去の模倣、ですね。

奈良: そうですね。老眼鏡かけてまで同じような主題で同じようなものを描き続けているのは意味がないのにね。

古川: 「目」といえば、奈良さんの描くキャラクターの目が明らかに変わったのを感じます。最近の展覧会「君や僕にちょっと似ている」の出展作品に顕著です。やっぱりこれはご自身の老眼化と関連性がありますか?

奈良: 作品に対して一歩も何歩も引いて、自分も作者でありながらもオーディエンスの中の一人である、みたいな俯瞰視はできるようになりました。一対一、つまり自分が作者であり自分ひとりがオーディエンスという構図から、たくさんの目のなかの一つに自分の目もあるみたいな感じが老眼になってから出てきたんです。目というのは感情を表す人間の大切な要素。それを過去の作品では瞬間湯沸器的というか直情的に、怒ったら単純に怒った目や顔を描いてそこに感情移入して、発散した気持ちになって満足していたところがあった。それがある時から複雑なものをどういうふうに複雑に描けるかというところに興味がシフトしてきました。10年くらい前からかな。ちょっと冷静に考える瞬間みたいなものがが増えて、制作の呼吸、タイミングの取り方が変わりました。

古川: 僕も数年前まではは即時性とクリエイティビティを同義語化していた部分がありましたが、最近即断しなくなりましたね。

奈良: 直観の弱さってありますよね。もちろん強さもあって、昔はその直観の強さが気持ち良かったりもしたけど。

古川: 歳をとって余裕が少し出て来ると、誰か(の作品)の内側に入る、誰かが内側に入れてくれるとかいうこと本を読んだり音楽を聴いたりするときに起き始めてる感覚があります。小説でも、若い頃はわからなかった古典の凄さみたいなものにに最近ようやく気付き始めました。

奈良: それ、ありますよね。美術でも、人間が人間しか見てなかった時代のもののすばらしさがどんどんわかってきて、それと比べると最近のものはほんとにインスタントだなと感じたりします。

岡本: 人間が人間しかっていうのは?

奈良: まだ電気がなかったりとか、いまヨーロッパがどうだとかアメリカがどうだとかエジプトがどうかとか考えなくていい、世界がこう、ちっちゃかったとき。

岡本: 手の届く範囲の世界。

奈良: そう。頭に入れられる情報容量は今と変わらないはずなんだけど、昔は狭い世界にいる分だけ、世界情勢とかとはまったく関係ない他のものが頭や心の中にすごくたくさん入ってたんですよね、きっと。ダヴィンチのドローイングなんか見てると、ああいう時代だから描けたものとか発想し得ただろうようなものがいっぱいあります。ギリシャの美術もそう。もしかして、文章でも絵でも、一番最初の一番基本的な世界の中でうまれたものに結局いちばん普遍性があるのかもしれないと思いますね。音楽でも、弾き語りみたいなシンプルなものは古くならない、一番最初に出来た形に普遍的な姿が完成されてるというか。

古川: 最初の形には無理がないんですよね、きっと。

奈良: そうですね。そこにできるだけ今の世の中から逆進的にそこに近づいていきたいなって思います。でも昔の画家と同じような絵は描けないし、そこに葛藤があるんだけど。いかにその最初にできた表現そのものが生まれた当時のスピリットで作品を作っていけるかというのが常に課題なんですけどね。難しいです。

古川: 絵も歌も文学も、結局根っこが古いから、やってけばやってくほど、その根っこの古さや表現そのものの根源に近づきたいって思ってくんでしょうね。

奈良: そうなんでしょうね。古いものほうがガツンとくるのは、昔のものになればなるほど、時代や空気が欲してたものを(作家が)自然に吸収して出してたからなんじゃないかなと思います。今は、この世の中の空気が何を欲してるかなんて細分化されてわかんなかったり、あるいは、欲してるもの自体を作り出そうとする人たちがいて、それが雑音になってるような気がするんです。自分が惑わされていない確信も持ちにくいですよね。

古川: ディテールを細かく設定しすぎてて、その社会自体が老眼になってない感じはありますよね。社会の老眼化が必要だと感じます。

奈良: ははは。

古川: 奈良さんにはボランティアを何百人単位で集めたり他のアーティストとコラボしたりしてのグループ制作も多いですが、制作するときは誰かに相談したりもしますか?あるいは、いわゆる芸術家というのは最後まで孤独なものなのでしょうか。

奈良: 自分ひとりで悩まないと逆にいい結果が出ませんよね。コラボはコラボで楽しいけど、職業やボランティアとして関わっている人たちは目安をつけて仕事をする。この日までにこれを終えて、明日はあれをしてと。それはそれで気持ちいいんだけど、僕は調子がいい日にはこの調子で徹夜してでももっとやりたい、そのほうがいいものが出来るんじゃないか、と思って制作してるタイプだから、チームで行動すると彼らの規則や時間割なんかがどうしても合わなくなってくるんですよね。仕事は仕事で片づけて、その後は生活を楽しむという感覚が僕にはない、あるいはそういうのが下手だから。


Topic 2: 想像力とアーティストの自己

古川: 奈良さんはドイツに留学して12年あちらで過ごされましたよね。それは設計図通りでしたか?

奈良: いや、たまたまが重なって、という感じで28でドイツに渡って予定外に12年も居ることになりました。ドイツでは必然的に一人になりましたね。それで一人になった瞬間に、自分の幼少時代まで感覚が戻った感触があって、そこで自分との対話、自分だけとの対話が生まれて。制作はそういう空気との対話みたいなとこから始まりました。それから、住んでいた町(*編集部註:デュッセルドルフ)の薄暗くて寒い環境が故郷の青森の環境を強烈に思い出させて、青森にいる7、8歳の自分と28才でドイツにいる自分との、20年と数千キロを離れた対話も始まったんです。そこから絵も変わりました。

古川: 表現者は、自分っていうのものをじっくり見据えないと、自分なりの表現は出てこないということなんでしょうね。

奈良: きっとそうですね。誰かと比べたり、安易なコミュニケーションができてしまったりする環境は制作には本来望ましくないのかもしれません。誰に見せるでもなく自分との対話が守れる環境が必要だと思います。僕自身、環境が整ったとたん一気に描くようになったから。絵が出てきたのは、自分の力というよりも場所や環境の力なのかなと感じます。

古川: 観る人や読者のことをあまり考えすぎるのはよくないんでしょうね。僕も、自分が読者っていうんじゃなくて、作者のまま読者としての目線も持って自分の作品と向き合わなくちゃいけないなって常々思っています。

奈良: でも、制作の根本的なきっかけは身近な人の反応を意識するというところにもありますよね。最初は「あら、奈良うまいね」なんて言われて嬉しくて「あら、じゃあこれはどう・・・?」、と。(笑)

古川: たしかに。ただ、「うまさ」は実は第一の評価基準じゃない。美術でも小説でも、必ずしもうまくない、むしろ下手なんだけど何かひっかかってくるようなもののほうが時代を越えて残っていくくケースが多いのではないでしょうか。

奈良: 訴求力の根源にあるのは結局イメージの力なんじゃないのかなと思います。文章なら文章が英語であろうと日本語であろうと、それを読んで浮かぶイメージ、その物語のイメージ、その強さが、いい作品かどうかを決めるんじゃないかな、と。

古川: むこうにあるものの強さ、ってことですかね。

奈良: そう。そうじゃなきゃ翻訳されて外国の人が感動しないでしょう。言葉にできないようなイメージが心に残って、「うまく説明できないんだけど感動した」っていう、そういう作品がきっとすごいんじゃないかな。音楽でも、英語の歌詞も完璧にわからないし、オペラならなおさら全然わからないのに、それでも作品に感動できるのは音には音のイメージ喚起力があるから。そうなると、言葉の果たす役割というのはほんとうに補助的で、もっと言えば「音」の役割すらも、もしかしたら補助的なもので、作者が考えてるイメージ世界があって、それを楽譜に置き換えて、それでこう、僕らは間接的に実は感動してるんだと思う。文章にしてもたぶん、一定の文法ルールの上に並んだ文字を読んで感動しているというのは間接的に感動してるだけで、ほんとは字面の背後に潜むイメージに感応している。時には主題を全く逸脱して感動することってあるんですよね。ただその映像に感動するとか、響きに打ちひしがれるとか。

古川: 奈良さんの作品の中に出て来る文字や単語というのは、では、補助的な、補強的な役割をしているということでしょうか?

奈良: あれはね、なんでしょうね。(笑) たぶん言葉とかフレーズに対して自分が持っているイメージのふくらみをRockならRockという一語に凝縮して託しているのかもしれないですね。共通項を持ってる人に向けて投げかけている鍵みたいなものだから、わからない人にはわからないと最初から思っている部分があります。

古川: その「向こうにあるもの」、つまり奈良さんのイメージ世界というもののルーツはどこにあるんでしょうか?

奈良: 大きいのは子供の頃に慣れ親しんだ絵本とレコードですね。田舎に育ったから、美術なら美術の本物、特に西洋から影響を受けたようなものを見る機会が全くなかったんです。仏像なんかはいっぱいあったけど。(笑) だから絵本との出会いであり想像力を膨らませる原点だったんです。絵本っていうのは絵からいろいろ物語を想像するものでしょう。一方で漫画だとこちらはあくまでも受け手になっていって想像力は喚起されない。ストーリーは全部用意されていて、「次どうなるんだろ」というのだけが読み手の楽しみ。でも絵本は一枚の絵の中にいろんなストーリーがあって、そこでいろいろ考えることができる。文章なんか二三行しかないけど、見れば見るほどなんか考える...、そういう幼い頃の、絵本による想像力の働かせ方が後まで影響している。

あと大きいのはレコードですね。輸入盤が安いからかなり買って聴いていましたが、まずタイトルが読めない。でも文字の意味がわからないなりに中身をとりだしてそのジャケット見ながら聴いていくと、絵本のときと同じような感覚でいくつかの物語ができはじめる。そのうち、何個か知ってる単語を拾って、歌詞世界が勝手にできていって・・・。それってね、結構間違ってないんですよ後から見直しても。それで想像力が鍛えられたんだなって思いますね。あとは「わからないけど文字があって何かを訴えている」というレコードのジャケットのビジュアルインパクトの記憶が、ドローイングに文字を入れることに影響しているのかなと思います。

古川: 自分にも同じような経験があります。田舎だからこそかえって外国のもの、外国っていうものを丸ごとインストールできたのかもしれないですよね。国境を越えたものが、都会でなく田舎でこそ一番自己形成の深くにまで関係し得たのかもしれない。

奈良: そうですね。生まれ育ちとか故郷の環境って人格形成にすごく影響しますよね。青森は冬が長くて雪に閉ざされたりして、土が見えた時や春が来たときに、とにかく「耐えて耐えてれば、春は来る!」という感覚に強烈にとらわれるような土地なんですね。人生で初めて頑張った高校の受験勉強の記憶もそれに重なるんですが、寒さとその先の春の記憶というのが体の中にしみこんでいて今の自分の制作態度にすごく影響しているように思います。


Topic 3: 3.11の震災とアーティスト

古川: 震災のあとに発表されたブロンズ彫刻(*編集部注:2012年の巡回展「君や僕に少し似ている」に出展され大きな反響を呼んだ作品)には驚かされました。

奈良: 絵が描けなくなったんですよね、震災の後。日本の人はみんなそういうふうになったと思うけど、なにかしらないひどい落ち込み感があって、自分がやっていることが全く無力である感じに囚われてしまった。所詮絵や芸術なんていうものは、一定以上の豊かさがなければ生まれないし育たないものでしょう。自分はなんの力にもなれないと感じて無力感に打ちひしがれて絵が描けなくなってしまったんです。でも、描けなくなっても、自分が少しでも他の人よりできることといえば絵を描くこと。だから、それを一生懸命やることで、復興して豊かさが戻って求められる時に備えよう、求められる時に何もない状態だと困るからその用意は俺がしなきゃいけない、と思う気持ちで自分を鼓舞していたんです。でも、どうしても絵が描けない、なぜか。

古川: 奈良さんは自分を捏ねなおしてたんでしょうね。それで彫刻への移行のタイミングとしては、震災が起きて描けなくなってから彫刻に移ったんですか、或いはその前からなんとなくそちらに向かおうという気持ちがあったんでしょうか?

奈良: 震災前からありましたね。震災前から陶芸をやっていたんです。それも「捏ね直し」なのかもしれませんが、社会の中での自分の位置がなんとなく決まってきたことに違和感を持ったのがきっかけで陶芸を始めていました。コラボなど集団制作をする中で具体的に自分の位置が固まっていくときに感じた居心地の悪さというのも大きかったと思います。本来、確かな位置ってあるわけないじゃないですか、社会の中で。でも物を作ってる世界には、昨日はこうだったけど今日はこうみたいな線引きが明確にある。そのことを考えたときに、なんで「自分はこう、この人はこう」っていうのを決める評価基準や位置みたいなものが決まってきてるんだろう、と疑問に思ったんです。自分自身の、社会の中で確立されつつある存在や位置に対する異物感というか。それで、ふと、自分に立ち返るとか自分自身と対話するっていう、一番が自分が得意にしてきたことが蔑ろにになってたんじゃないかって気づいて。それで、チームプレーをやめて陶器をやりだしました。

古川: どうして陶芸だったんですか?

奈良: 陶芸なら、あれこれ考えなくてもまず物質があるじゃないですか。さっき古川さんは「捏ねる」って言ったけど、まず捏ねるための物質がある。結局、考えることと同じですよね。手で考える。それにそもそも、絵を描く前に子供が覚える遊びって、やっぱり泥んこ遊びでしょう。ついでに自分のウンコ握っちゃったりとかさ。(笑) そういう根源的なところに自然と気持ちが向かっていって、陶芸に行ったんでしょうね。それが、ブロンズの一つ前の段階としてありました。でも陶芸ってやっぱり技術がいるんですよね、中を空っぽで作っていくには。その技術に意識が持っていかれて、自分との対話というのが完璧にはできなかった。それで震災があって、今度はほんとに粘土の塊、技術要らない、ほんとに、こう、「やるしかない」みたいなものに向かったんだと思います。たぶん全くの本能からですね、動物的な。それでやってるうちに、急に絵もまた描けるようになりました。

岡本: 古川さんはどうでしたか?

古川: やっぱりまず書けなくなったよね。かけなくなったし、書いていいのか、っていう葛藤もあった。小説なんていうのは読むにも時間のかかるものだし、そんなものは被災地の人の何の役にも立たない。たぶん一番役に立つのはお金だろうけど、お金もないし地位もない。

それで、いくつかの試みをしました。ひとつは現場に行ってみてドキュメンタリー的に言葉を出してそれが小説になるのかを確かめるということ。その時には三つ作品を並行して書いてたんだけど、かなり作品が壊れていって、今までの書き方では通用しないってことがわかりました。

それから、奈良さんのドイツ時代の話じゃないけど、自分が福島出身とか福島の子供だったっていうことを随分考えて、正直に自分と向き合うようになりました。それでも小説が書けるようになるのに2年ぐらいかかりました。

僕は、奈良さんのブロンズ彫刻を見て手の痕跡に感銘を受けたんですが、僕も去年から手の痕跡を残すこと、つまり手で書くことを始めたんです。今は仕事を半分手書きでしています。白い紙にマスがあってそれを埋めなくちゃっていう、こういう(*こねる手)感じがするんですよね。コンピュータじゃだめなんですよ。コンピュータでやるんじゃなくて、形を捏ねて、一文字づつ作っていかなくちゃいけない。間違ったらこう線を引いて、ぐちょっていう跡が出て・・・、みたいなことをやる。

結局、震災後にはいろんな角度で過去を検討したり、ドキュメンタリー的な文章から小説に移ろうとしたり原稿用紙に移ったり・・・といろいろ試行錯誤したんですけど、やっぱり、自分と対話することと自分を捏ねなおすことっていうことはどうしても経なくちゃいけなかったなと思っいますね。

奈良: コンピュータ、だめですよね。コンピュータだとどんな筆圧かけても・・・

古川: でない。筆圧でないんですよ。それにコンピュータは自分がしたことの痕跡を残してくれない。字の形や大きさや強弱や筆運びの強弱といった、紙に書けば必然的に顕著になる僕の手書き文字の癖や個性みたいなものが、コンピュータだとみんな一律にトリートメントされてしまう。タイプライターの頃はまだ多少残ったかもしれないけど。

奈良: 全部同じなんですよね。しかも、「はっ!」て、なんかちょっとした失敗で消えちゃったりとか。いっぽうで手作業だと、どんなに走り書きでも書き留めたいことを書いたのがそのまま残るし、自分なりの筆圧で、ジョギングするみたいに自分をコントロールできていく。タイプライターもそう。カシャって押すときのあの抵抗感とか距離感がよくて。その間(ま)に次の思考をしている感じもある。

古川: 押し返される感覚ですよね。

奈良: そうそうそう。

古川: 作品が応えてくれる、一文字づつ。

奈良: そう。きっと手書きは、書いている人の予期しないところに、予期しないけど自分から出たようなものではあって・・・、というところに作品を誘導するのかもしれないですね。

古川: 予期しない、って大事ですよね。奈良さんのドイツ行もきっとそうだったんでしょうが、作者が全部コントロールしてるとかもうプランを書いたものをなぞってるだけじゃなくて、作ってる間に何か起きちゃった、っていうのが大事。結局その「何か」っていうのが、奈良さんの言うイメージ、あるいはバイブレーションみたいなものなんでしょう。「これをみんなに味わってもらいたい」とか、「これなら届けられる」っていうような。僕も「俺をあんたに届ける」というんじゃなくて、「俺からこんなものが生まれたから、それをそれとして届けたい」という気持ちはすごくありますね。結局、作品だけがその作り手と受けてのブリッジになって、作家は作家自身を届けてるんじゃないんですよね。

奈良: そうですね。最初に加齢の話をしたけど、僕の場合最近はオーディエンスのリアクションっていうのが全く気になんなくなりました。逆に自分が死んで200年後とか、遠い将来にも残っていてほしいな、そういう作品になり得てたらいいなって願うようになった。やっぱりそれは震災の後ですね。今あるものを今見せるんじゃなくて、将来でも見られるような形で残していきたいと、震災の1年後くらいに決定的に思ったんです。もう取り立てて新しいことやらなくてもいいような気もしています。だって200年後に見たら、僕が生きてるこの70年か80年っていうのは大差ないでしょう。長いスパンで見たら50歳で死んだ人も70で死んだ人も同じ。そうなると、ことごとく手先が変化していく必要っていうのも実はない気がして。2、300年経ったら僕らの世代とゴッホの世代もマティスの世代も、たぶん同じ感じになっちゃいますからね。極端な作品の変化はそれほど必要なのか、と。

古川: それはある意味でいわゆる「現代美術」の在り方の逆をいく発想ですよね。

奈良: かもしれません。現代美術ってその場その場でどんどん変わっていく、あるいはその場の状況を作品に瞬時に置き換えてるものが多いですよね。でも、残っていくのはそういうものじゃない、どんなに形を崩してもそのやり方は違うんじゃないか、と思うんです。ただ、まだ形にはなってなくて、いい形になったらいいな、と思っているんですが。

古川: 震災に話を戻すと、あれが他の地域で起きたらたぶん日本のパブリックイメージ全く違ったと思うんですよね。東北の人たちの映像があれだけ流れて、日本人とはこうだっていうことが、全く別な形なのか大昔を思い起こさせる形でなのか世界中に刷り込まれて、それはとてもよかったと思うんです。あれだけの犠牲を出した代わりに、それは世界中の人に新しい日本のステレオタイプか、オルタナティブなもう一個のステレオタイプを提供できたかな、と。ただそれを活かしきれてないのがすごく、僕は腹立たしい。

奈良: うん。それは東北出身以外の人たちが政治をやってたからですよね、きっと。震災直後の人々には自分もすごく感動しました。あれは冷静に考えると、やっぱり戦争の苦しい時代を知っていた人たちがまだ生きていたっていうこともきっと大きいと思うんです。空襲にあって焼野原になったり、食べ物がまったくなくなったり、という苦しみを知ってたい人たちがいたということが。それと、東北はもともと日本の中でも貧しい地方でしょう。東北の人たちはだから、耐えるということを自然と受け入れて暮らしてきていた人たちだと思うんです。そういういろんなことが、みんなが知らなかった、あるいは目を向けてこなかった日本の側面として立ち上がってきたってことだったんじゃないかな。

古川: そうですね。たしかに被災した人たちはみんな耐えていたし、例えば奈良さんや僕も、どうしても描けない・書けないという状況を耐えていた。本当はその「できない」という飢餓状態、耐えている=抑圧されているという状態に、日本人みんななればよかったなと思うんですよね。

奈良: うんうんうん。

古川: あんなに瞬発的に言葉なり表現なりを出さなくてもよかった。あそこの土地やあの震災に共感するには、同じように自分たちも「無い」という状態まで行けばよかったと思うんです。その「無い」をあっというまに、僕の関係でいえば「言葉」で埋めてっちゃったし、埋めてっちゃったから無かったことが見えなくなってしまった。それは本当に不幸だったと思いますよね。みんな早すぎだなあと思いましたね。ただ中にはじっと耐えていた人たちがいて、その後にようやく出てきた表現もある。結局はその表現だけが信じられるし、そこにだけ希望があるように感じます。

奈良: そうですね。少し話が逸れるかもしれないけど、うちね、福島までほんとすぐなんですよ。隣の町が白河(編集部註:栃木県那須にあるスタジオのこと)。震災を通じて思ったのは、みんな目に見えない線、国境みたいなものを作っちゃっているなということ。そういう距離にあるのに、「こっちは関東、あっちが福島」と。

古川: ラベリングですね。

奈良: そう、関東だから安全、とか、何々県だから何々県とは違う、みたいに。それは前からしていたことでもあるんですけどね。たとえば今朝リンゴを食べながら考えてたんですが、「青森リンゴ」ってブランドがあるでしょう。でも生産地域は青森でも西寄りで、秋田とか岩手の山のほうでも作ってる。それなのに、それが「岩手リンゴ」って呼ばれたら「うーん・・・」みたいな感じがどこかにある。マグロだって、上がる港が大間か別の港かでまた違うじゃないですか。同じところで獲ってるのに。イカなんかでもね。そういうことを昔は全く意識してなかったのに、風評被害みたいなものが深刻になってきた時に改めて考えるようになりましたね。

古川: それはブランド化、ラべリング、パッケージング、の問題ですよね。県名でもいいし上がる港の名前でもいいし収穫される品種でもいいけど、まずブランドを作って、中を判断するのはやめておこうっていう名前付けによるある種の隠蔽。でも本来は、その中身こそが生産者の提供しているものですよね。それなのに、物を作る人間は中しか出してない、ブランディングするのは他の人、というのがなかなかわかってもらえない。震災の後に、越境しなくちゃいけなかったのはそういう部分で、みんな中を見なくちゃいけないんだよってことだったと思うんですけどね。自分自身で「中」が見据えられなかった人はいったん立ち止まればよかったし、僕なんかも立止ったし。そこで新しい「外」を張り付けてたら、より分断することになるだけなのに、それに気づかないのか蓋をしたのか忘れたのか、以前のようなラべリングを続けたままそれを先に進んじゃってるのがとても怖いですね。

奈良: そうですね。ほんとに必要なもの、大事なもの、っていうのは実はすごく身近なところにあって、それをどんどんダメにしてるのが外にブランドを作っていくことや、ある種の欲なんだと思うんです。それは見かけとか表面的なことばかりを意識させるようなシステムで、ほんとうに大切なものがあるはずの中身や内容から目を逸らさせてしまうものなんですよね。

古川: 大事なものを見たくないっていうのが今の時代の風潮なんでしょう。面倒くささを排除してくれるのが便利さなのだとしたら、大事なものっていうのはその排除されるべき面倒くささのほうに入るわけだから。

奈良: うん。僕ね、電気も何もない時代の人たちはどんなふうだったんだろうってときどき想像するんです。不便だったろうけど、もっと想像力にあふれていただろうし、まわりの人とか物事に対する思いやりもあって、がまん強くて、本当の意味で'自然と共存'していたんじゃないかな。江戸時代の人なんかと比べたら、今の僕たちは人や自然やまわりの人に対する思いやりの心にひどく欠けているんだろうなあと思うんですよね。震災で電気が完全に止まって、携帯も電池が切れて使えなくなったときに、特にそんなことを考えていました。必要なものと便利なものって違う、なければなないで、何か別の大事なものが見える、って。たとえば震災の停電の真っ暗闇が、子供の頃に停電した時に母が蝋燭の明かりの中で空襲の話をしてくれたことを思い出させてくれて、暗闇だけが与えてくれる力みたいなものを感じたり、携帯の電池が切れたら、携帯やパソコンがなかった時代にあった「あの人、いまどおしてるかなあ」と想像するような気持ちの豊かさみたいなものを思い出したり。便利さっていうのは実は大事なもの隠していくものなのかもしれません。

岡本: インタビューを終えるにあたり一つ質問をさせてください。古川さん、何故今回は奈良さんにインタビューを?

古川: まず個人でやってるということ。個人でやっていながら、とても大きなものと取り組んでいる。美術なら美術っていう定義そのものと取り組んでいて、その舞台を日本国内とか海外とか全然分けて考えていない。そうしてやり続けることはものすごくタフなことだと思います。それが一つ。それから、奈良さんはひとりでやっているけど孤独にやっているわけではなくて、いろんな人もまわりにいるし、ある種プロジェクトの時はもう何万人ぐらいいて・・・ってやっている。・・・のだけども、たぶん本当の基本は一人。一人で世界を相手に制作を続けている。カジュアルに見えるけれどとても真摯に。それは僕の理想とする作家のありかたなんです。小説家だったら村上春樹さんとかもそうなんですけど。自分にはそこまでできないけど、たぶん、自分はそうやろうとしているなって思ってここまで生きてきました。だからASYMPTOTEの岡本さんから話があって「インタビューを」と頼まれた時、僕が答えるんじゃなくて逆に誰かに話を聞きたいと思ったんです、そういう理想とするような作家さんに。

岡本: それで迷いなく「奈良さんに」って仰ったんですよね。

古川: うん。奈良さんのすごいところは、国境や文化の壁を力みなく越境してしまえるところ。本来、日本の美術は日本の美術、世界の美術は世界の美術で読み解き方はまったく違うもののはずなのに、奈良さんはそこを越えてやっているし受け止められている。それが本当にすごいんだよね。

岡本: そうですね。創作と翻訳を一手に、というか。

古川: いや、というよりも、奈良さんが世界的に認められているっていうのは、ぜんぜん違うコードを飛び越える何かが作品に本来的にあるってことだと思いますね。それはたぶんものすごい格闘があってのことだと思うんです。でも作品の前面にはその努力の跡が押しつけがましく出てきたりはしていないから、意外とみんなそのことに気が付いてない。奈良さんの作品を単にイラストレーション的に受け止めて「カワイイ」で終わり、とかね。だから今回は直接話して、言葉にならなくても自分でその「何か」について学ばせてもらえたらいいなあと思って来たんです。

岡本: 古川さんは、奈良さんは絶対に音楽を聴きながら制作をしてる、それは作品を見ればわかる、ともおっしゃってましたよね。

奈良: そこがわかんない人もいてさ!そういうときは、こう(*がっくりの仕草)なっちゃう。表面しか見えてないんだなって。興味があるものって人によって違うじゃない。それによって通じる通じないも違ってくるんだろうね。例えばイチローの打席での仕草。あれを真似すると「イチローだ!」って思う人と、何もわかんない人とがいる。たぶん真似をする人は野球が大好きだからそういうジェスチャーしてみるんだけど、それを見て目をキランって輝かす人と輝かせない人がいて・・・それでも輝かせないほうの人と目が合っちゃったら、なんだかピエロみたいになっちゃうじゃない?時々そういう意味で自分はピエロみたいだなって感じるもあるんだけどね。

古川: でも奈良さんはそこで傷つくことを恐れてないですよね。

奈良: ああ、それは全く恐れてないですね。

古川: それが凄いと思う。僕はそこが弱い。誤解されるくらいだったら前に出ないでいいやって思っちゃう。そこが、足りないとこだなってすごく思ってますけど。

奈良: やっぱり、自分の作風から宿命づけられてるのかな、と思ったりします。

古川: ああ。結局は作品が「主」で作り手は「従」なんですよね。そこに素直にやればいいのかな、そこを忘れちゃいけないな、って思っています。

奈良: そうですね。


インタビュー収録、2013年11月7日
協力(株)新潮社