足跡

古川日出男

Illustration by Leif Engström


   これは小説であり、これは小説ではない。
   土砂を用いてピラミッドを出現させる。しかも学校の敷地内に出現させる。形としては、台形ピラミッドと呼ばれるものになる。それを運動用のグラウンドの隅に形成するのだ。ただし底辺は十メートルに満たず、高さも三メートルに満たない大きさだが。つまり、ピラミッドとしては(台形ピラミッドとしても)小さすぎるが。
   しかし、どうだろうか。小学校の敷地内に出現するピラミッドだと想定すれば、十分に大きいのではないか。それも、これは現代日本の一地方都市の、名もない小学校のグラウンドを占拠する構造物なのだ。
   子供たちは、このピラミッドにいかなる感慨をおぼえるだろうか。
   拝みたいと思うだろうか? つまり、神殿として。台形ピラミッドの先例であるところの古代メソポタミアのジッグラトに似た匂いを感じるか......。
   聖性においては、そうである。なにしろ一般人には不可侵の、決して冒してはならない構造物となるから、そうである。しかし、とりあえず、子供たちは誰も拝んではいなかった。そのピラミッドの周囲には黒と黄色の警告色に彩られたロープが張られていたから、そもそも接近を果たそうともしなかった。また、教師たちは口頭で警告した、やはり「決して冒してはならない」と。
   古代メソポタミアのピラミッドにはその点が似ていたが、古代エジプトのピラミッドと比較すると、どうだろうか。
   このピラミッドには墓の匂いはない。この、日本の、とある一地方都市の、名もない小学校のピラミッドには王墓らしさは微塵もない。その意味ではまるで似ていないのだと断じられる。現在のところはそう断じられる。
   しかし、ピラミッドの出現からひと月が経ち、ふた月が経過した時点で、事件は起きる。
   つまり、ここまでの話題で「現在」として取り上げてきたものが、過ぎ去ってしまったもの、すなわち「過去」になった時点で。
   そのピラミッドに、立ち入りの痕跡が多数発見されるのだ。状況はかなり奇妙だった。まず第一に、ピラミッドの斜面を登った様子がない。そこには何も残っていない、なのに、台形ピラミッドのその平らな頂きには無数の足跡が湧いていたのだ。しかも、足跡はどれも小さい。もちろん25センチほどに達するサイズの靴跡もあったが、それにしたって大人用の何かの靴底というよりは、どれも子供用の、そして大半はスニーカーの痕跡だった。
   しかも足跡は、その数が多いのと同時に、そこから推測される人数も多かった。
   百人か二百人は、このピラミッドの平らな頂きにつどい、歩きまわったことを明かしていた。
   それも、ひと晩で。これが状況の奇妙さの二つめだった。学校の監視カメラには、それほどの人数の「敷地内侵入」は記録されていない。それどころか誰一人じつは不法に侵入した形跡はないのだ。映像がそう証明している。その他の警備機器のデジタル・データも同じことを断じた。
   だが、事実として足跡はあった。極めて物質的な痕跡としてあった。これをどう判断するか? やはり、あった、と判断するしかない。二色のロープでその四方を囲われている「決して冒してはならない」ピラミッドは、冒されたのだ。ひと晩のうちに百人あるいは二百人に。しかも子供たちに......。
   そんなことはあってはならない、と学校側は憤る。二度と繰り返させてはならない、とヒステリックに憤る。町も同じように憤り、また、懸念する。もっと上のレベルの、市役所も市議会もその他の関係各所がこぞって懸念する。このために作業は一気に進められる。日程を前倒しにして、「ピラミッドの消滅作業」に手が着けられる。
   地中に埋葬するのだ。
   同じグラウンドの、深みに。
   大地を形成していたものが大地に還る。ただそれだけのことなのだと、言おうとすれば言えた。だが、そもそもピラミッドを生み出した土砂がどうして「土砂」として学校の敷地内に集められていたのか。もともと「土砂」はグラウンドの表土だったのだ。それが浅く削られた。校庭全体が放射性物質で汚染されているから、処分するためにだった。しかし、放射線量の高い「土砂」は普通の廃棄物としての処理ができない。どこにも引き受け手がなかった......町の内外にも、その都市の外にも。もちろん国外にも。行き場がないから、校庭にとどめ置かれて、その結果、「不可侵」の台形ピラミッドになっていた。
   そして、校外に置き場が見つからないのならば、埋めるしかない。
   埋めれば、もう、誰も手を触れられない。
   こうして作業が進み、ピラミッドは埋葬された。その意味でピラミッドには墓の匂いが付いた。古代エジプトのピラミッドに比肩されるものにもなった。そして、実際、このことを証明するモニュメントも建った。それはポストである。太陽光発電のパネルが付属している高さ二メートルほどのメカニカルな円柱、ポストであり、すなわち太陽神ラーの信仰に似る。古代エジプトの信仰に。
   太陽光発電は、二十四時間そして三六五日、空間放射線量を測定するのを可能にした。これはモニタリング・ポストである。
   これは小説ではないし、小説でもある。いずれにしても、こうして記述されているのだから作者がいる。その作者はモニタリング・ポストを所有してしまった小学校を(つまり、その学校を)卒業した。いまも、年に一、二度だけ、その母校のグラウンドを散策する。すると感じる、走りまわっている子供たちが地中にいるぞ、と。
   歓声をあげて、歩き、駆けまわっている。
   いや、本当は子供たちがいるのではない。足跡がいるのだ。

(書下ろし作品:初出「ASYMPTOTE」2014年1月号)