蝶のやうな私の郷愁

Masataka Matsuda

Illustration by Hugo Muecke

登場人物





波。

世界にラジオがある。

それが電波を受信し音を出す。

「午後のニュースと天気予報」

まるで潮の満ち引きのように近づいては遠のく。

それがやがて日常になる。

夕方、あるアパートの部屋。

箪笥が二点肩を並べて置いてある。

ちゃぶ台。その上手の方にテレビ。

その他様々な日常の品々が、そこにはあるに違いない。

女が、ちゃぶ台に頬杖杖えうじんぶつう                 頬杖をついて座っている。眠っているの

か、それとも、ラジオから流れる音楽に聴き入っているの

か、それは誰にもわからない。

音楽が切れ、ラジオは台風情報を告げる。

ラジオのアナウンサー「ここで、台風関係の情報をお伝え

します。九州の東の海上を北上中の台風一八号の影響で、

関東地方は、これから夜にかけて、大雨の降る恐れがあり

ます。」

男 ただいま。

女 おかえりなさい。

男 大変だよ風が強くって。

女 台風が来るみたいよ。

男 あ、そう。

女 大雨だって。

男 ふーん。

女 ごはんは? 食べてきた?

男 いや。

女 あ、そう。じゃ、食べる?

男 うん。

女、スウェットの下を男に投げる。

男 駅前、あれ、何やってんだ。

女の声 え?

男 駅前、何やってんだ?

女の声 何?

男 駅前でさ、工事か何かやってるだろ。

女 (現れて)工事?

男 うん。

女 何の?

男 何だか知らないけど、工事やってるだろ。

女 (去りながら)どこで?

男 だから、駅前。

女の声 何だか最近、工事ばっかりやってるでしょう。

男 マンションかなんかだな。

女の声 ええ?

男 いや、だからね、マンションかなんか......。もういい、あとで話すよ。

女の声 何が?

男 もう、いいって。

女 ハンカチ出しといて。

男 え?

女 ハンカチ。

男、探す。

女 (現れて)あ、そうそう、工事っていえば、駅前にすごいマンション建つんだってよ。

男 あー。(つまる)

女 すごいマンションがね、建つんだって。

男 あ、そう。(投げやり)。

女 新聞の広告に入ってた。

男 ふーん。......上着になかった?

女 え?

男 ハンカチ。

女 なかった。

男 ......あれ、夕刊は?

女 ない?

男 ああ。

女 とりあえず、ズボンはいたら。(去る)

男 え? ああ。(探すのをやめ、ズボンをはく)

そして、箪笥の上の夕刊をとってちゃぶ台へ。

女の声 取っておいたから見てよ。

男 え?

女の声 広告。

男 広告?

女の声 マンションの広告。

男 ......うん。(新聞を読む)

女の声 ......見てよ。(なぜか見てないのがわかる)

男 今?

女の声 そう。

男 見てどうするの。

女の声 見るだけでも、見てよ。

男 見たってしょうがないだろ。

女の声 ......。

男 どこ。

女の声 そのへんにない?

男 ない。

女の声 箪笥の上かな。

男 え?

女の声 ああ、ちゃぶ台の下になかった?

男 ないって。

女の声 じゃ、箪笥の上よ、やっぱり。

男 どの箪笥。

女の声 私の。

男 ええ?

女の声 ああ、新聞と一緒になかった?

男、新聞をバサバサする。

男 いや、ないよ。

女 あら、アハハ。(豪快に笑う)

男 え?

女 (現れて)あったあった、わたしが持ってました。

男 ......。

ちゃぶ台に広告を広げる。

女 ......3LDKでね、ここなんか南向き。

男 へえ......。......広いな。

女 でしょ。和室もあるのよ。

男 和室?

女 うん。ほら、これ。

男 ......和室も広いな。

女 ホラ、これ、ベランダ、ね。

男 ああ、これ、ベランダか。

女 いいでしょう。

男 うん、広いベランダだ。

女 あなた広いしか言えないの?

男 だって、広い方がいいじゃないか。

女 ここに白いテーブル出してえ......。

男 夏なんか、ビール飲むんだろ。

女 あら、冷えたワインでもいいわよ。

男 いや、いや、ビールがいいよ。

女 ま、ビールでもいいけど、冬はどうするの?

男 冬は寒いよ。

女 わかってるわよ、そんなこと。寒いベランダでビールなんか飲んでられないでしょ。......あ、そうか、ベランダにコタツ出す?

男 冬はベランダに出なきゃいいだろ。

女 和室もあるんだった。

男 そうだよ。和室は何畳?

女 八畳。

男 お、広いな。

女 また、広いって言う。

男 だって広いよ、八畳は。

女 でも、マンションのほら、あれだから。

男 いや、それでも広いよ。

女 うん。......これ、お風呂。

男 ああ......。

女 きっとシャワーだってついてるわ。

男 まあねえ......。

女 ここ、寝室かしら......。

男 そうだろ。

女 ベッドも二つ置いて......。

男 置けるのか、二つも。

女 広いし、置けるわよ。

男 うん、......広いもんなあ......。

女 ......。

間。

男 おい。......おい。

女 はい。

男 何か、コゲ臭いよ。

女 あ。

男 ......。

女の声 台風どうだって?

男 ......うん......。

女の声 夕刊に書いてない?

男 ......うん......え、何が?

女の声 台風!

男 ああ......。(新聞のその箇所へ)あ、こっちへ来るみたいだな......。

女の声 梅干しいる?

男 うん。

女の声 梅干し。

男 うーん。

女 (現れて)いるのいらないの?

男 置いときゃいいだろ、食べるから。

女 昨日、置いといたけど食べなかったわ。

男 今日は食べるよ。

女 絶対に、食べるわね。

男 そりゃ、その時になってみないと。

女 食べるわね。

男 ......食べるよ。

女、男をにらみつつコトリと梅干し壺を置く。

それから、男の脱ぎっぱなしのズボンとシャツへ。

女 ......ハンカチは?

男 ......会社の机の上かな。

女 ......机の上、ハンカチだらけなんじゃない。

男 ......。

女 明日、ハンカチないわよ。......いいわね。

女、男のズボン、シャツを持って上手へ。ブツブツと独り言が聞こえる。

男 ......タバコ......。

女 ちゃぶ台の下は?

男 見た。

女 吸っちゃったんじゃないの?

男 いや、吸ってないよ。

女、現れて、盆を持っている。

女 新聞どかして。

男 え?

女 新聞。(おツユを台に置く)

男 ああ。(どかす)

女は台所へ。

男は探している。

女、またもどってきて。

女 もう、ごはんよ。部屋が臭くなっておいしくなくなるんだから。......はい。

女は灰皿とライターを台の上に置く。

男は、そこに来る。

......タバコは......ないらしい。

女 吸わないの?

男 タバコは?

女 知らないわよ。

男 どこいったんだよ。

女 だから、あたしは知らないわよ。

男 いや、あったんだって、おかしいな。(立ち上がる)

女 梅干し食べたら。

男 どうして。

女 おいしいわよ、すっぱくて。

男 タバコと関係ないだろ。

女 ......。(当然のようにライターを手に取り、台所へ行こうと)

男 おい、置いとけよ、それ。

女 使うの。

男 何に。

女 ガスに火つけるの。

男 何で。

女 だって壊れちゃったんだもの。

男 マッチがあるだろ。

女 ないのよ、きらしちゃって。

男 マッチぐらい買っとけよ。

女 だって、吸わないんだったらいいじゃない。

男 吸いたいんだよ。......だけどないんだろ、タバコ。

女 だから、知らないわ、タバコのことは......。

女、ライターを持ったまま去る。

男は座って思案する。

男 昨日の夜どこ置いたっけ。

女の声 もう、あきらめたら。

男 買ってくるかな。

女の声 外、雨よ。

男 でも、すぐ、そこだからさ。

女の声 明日の朝でいいじゃない。

男 明日の朝かあ。

女の声 ないときぐらい吸わなきゃいいでしょう。

男 うん......。

女の声 ね、そうしたら。

男 ......うん......。

女、来る。

女 ......いただきます。

男 何だよ、まだ食べてなかったの。

女 ええ。

男 さきに食べときゃいいだろ。

女 だってひとりで食べてもおいしくないでしょ。

男 ......まあ、そりゃそうだろうけど、おなか、減るだろ。

女 あ、うん、腹減った。

男 そう。......何かないかな。

女 うん?

男 ソース。

女 はい。

男 これ、ソースか?

女 ソースよ。何言ってんの。

男 いやだって、こないだだってさ......。ショーユだよ。

女 え?

男 ショーユだって。

女 じゃ、私がそっち食べるから、あなたはこれ食べてください。

男 いいよ、もう。

女 私はショーユがいいんです。好きなんです、ショーユが、体にだっていいし。

男 本当かよ。

女 ソースばっかりだとね、血圧上がるんだから。あなたもおショーユかける?

男 いいよ。(ひっこめる)

女、何ごともなかったように食べ続ける。

男 ......ソースは。

女 え?

男 だから、ソース。

女 ......梅干しは?

男 あのな。

女 もう、味ついてるのに......。(立ち上がり、台所へ)

男はちゃぶ台の上のフリカケのような袋を取り、ごはんの上へふりかける。

女、もどってきて、全く同じような入れ物を、男に差し出す。

男それを受け取り、くんくんとかぐ。

女 ソースよ。

男 ビンかえたらいいんだよ、ビン。

男、また、いぶかしみつつ、自分の皿のオカズにかけ、食べる。......。

「ソース」だったらしく、安心する。

しかし、食べているうちに何だか変なものを、口のなかに感じる。

男 ......うん?

女 どうしたの?

男 いや。

女 ......何。

男 いや、何か......。

女 ......出してみたら。

男 ......うん。

男、出してみる。......輪ゴムだ。

女 あら、輪ゴム。(と、すばやく取り上げ、ゴミ箱へ)

そして、何ごともなかったように食事へ。

男 ......何べん、輪ゴム食わしたら気がすむんだ。

女 ごめんなさい。

男 ......。

女 ......でも、本当だったら、私が食べることになっていたのよ。

男 俺が食べたよ、輪ゴム。

女 ......出したじゃない。

男 いや、そりゃ、出したけどさ。......知らないで食べたりしたらどうするんだよ。

女 ちゃんと出てくるわよ。

男 どっかにひっかかったらどうするんだよ。

女 ひっかからないわよ、そんな......。

男 ひっかかるよ、輪ゴムなんだから。

女 どこに。

男 どこかに、......このへんの。

女 そのときは輪ゴムと一緒に生きていけばいいじゃない。

男 いやだよ......。

女 ......ねえ。

男 え?

女 ......さっきの。

男 何。

女 マンション。

男 マンション?

女 うん。

男 チラシの?

女 そう。......行ってみない?

男 行ってどうすんの。

女 見るの。

男 見てどうするんだよ。あのな......見たって住めないんだぞ。そこの管理人が出てきて、おやそこのご夫婦このマンション見てますね、じゃあどうぞ、住んでくださいってな具合にいけばいいけどさ。

女 そうじゃなくて、......見て......。それで元気づけるわけ。

男 マンションを元気づけるのか?

女 そうじゃなくて、......いつかは、こんなところにだって住めるぞって、私たちを元気づけるの。

男 ......(あきれて)本気で言ってるの。

女 いつだって私は本気よ。

男 ......。