数学と文学 

―同質性と異質性―

藤原正彦

Photograph by Kevin Kunstadt

詩人のポール・ヴァレリーは数学について次のように語っている。

「私は学問の中で最も美しいこの学問の賛美者であり報いられることのない愛をこれに捧げている」

文学者で数学に対して異常とも言える興味や憧れを持つ者がときどきいる。また、数学者の中に文学愛好者は多い。数学と文学の間には、未だ十分な意志の疎通はないけれど、互に引き合う目に見えない何かが存在しているように思える。しかし両方の分野で生産的活動をする者となると皆無に近いから、やはり引力とは別に、分厚い壁が両者を分け隔てているようにも思える。それではこの引力と壁とは一体どんなものなのだろうか。

数学は自然科学の一分野として一般に考えられているが、私は必ずしもそれに同意していない。数学が自然科学の諸分野に不思議なほど効果的に利用されてきた、という歴史的事実があるに過ぎない。物理学等の要請を受けて数学が発展することもあるが、多くの場合、数学者は実際的応用などは考慮せずに数学を創り上げている。とは言え、論理的に正しいというだけのことを無闇に創っている訳ではなく、やはりある種の価値基準に従って進んでいる。通常、理論の価値はその美しさによって決まると言ってよい。論理を追っただけの人為的な数学は何故か美しさに欠けているし、また不可解なことだが、美しいものに限って、後になって応用面での高い価値が見出されたりする。

数学における美しさがどんなものであるかは、その高度な抽象性により小文では説明しがたい。しかし、数学でも詩でも音楽でも、美しいものには共通の感動があると言える。それは音楽の調べで、ただ一つドをレにしても、また詩や俳句、和歌において、たった一つの言葉を何か他のもので置き換えただけでも、全体が駄目になってしまう、というような際どい緊張感である。複雑な部分部分が、はりつめた糸で結ばれ、見事に統一され、玲瓏とも言うべき調和の世界を作り上げている。そこには美の極致とさえ呼べるものがある。この点では、数学は自然科学より芸術に近い。いくばくかの文学者を惹きつける引力の正体は、数学の内包する底知れぬ美と調和なのかも知れない。

最近私は、アメリカ滞在中の精神遍歴をもとに本を著わしたが、それ以来、本職の数学とは直接関係のない文学的仕事に携わる機会が多くなった。もともと私は、数学を、美の追求という立場から文学と同じく芸術の一部門と見なしていた。だから文学の道に足を踏み入れる際に、特別の気負いや構えはなかった。両親が作家という環境に育てられたため、物を書くということが、極めて自然な人間の営みと思っていたこともある。しかし実際に二つの世界を経験してみると、様々な違いのあることに気が付いた。そして、作家としての親の苦しみが少しずつ分かるようになったと同時に、数学者としての私の苦しみを相対化することが出来るようになった。

数学を研究する時に、苦しいことの第一は、日々の前進がないということである。朝から夜まで数学に没頭しても、一週間、一カ月のあいだ必死に考え続けても、何ら進展を見ないというのは珍しくない。アイデアが次から次へと湧き出るうちはさほど辛くはないが、その時期が過ぎると、不安感と焦燥感ばかりが募って相当に消耗するものだ。私自身、六カ月の間、文字通り寝食を忘れて数論の問題に没頭したことがある。この間は、朝も昼も夜も、睡眠中でさえ考え続けていた。東京にいたたまれなくなり、蒲郡、犬山、九十九里、伊良湖などに逗留し、宿で、浜辺で、城壁に座って、公園のベンチで、一時の切れ間もなく考え続けた。そしてとうとう身体をこわし、六カ月を過ぎた頃、攻撃を断念した。

これに対し文学の方には、幸いなことに原稿用紙のマス目というものがある。一日中机に向かっていれば、筆の遅速があるとはいえ、一つずつマス目が詰まって行くのを目で見ることが出来る。仕事が進行しているという実感は、充実感を与え、苦しみをかなり和らげてくれるものである。父を見ても、筆を持たない時と、筆が一向に進まない時が一番苦しそうだった。父は時々一、二週間のあいだ、不機嫌になることがあった。こんな時は毎朝、寝不足顔で食卓につくと、不愉快そうな表情を顔一杯に浮かべたままむっつりしているのだった。決まって小説の構想を練っている時だった。原稿に筆が走り始めると、いつもの柔和な顔を取り戻すのが常であった。

「原稿を書き始めるまでが死ぬほど苦しい」

とよく言っていた父は、この間の苦しみを産みの苦しみと呼んでいた。数学者にとっても、物事をじっと考えつめているのが最も苦しい時であり、論文を書き下している時は楽な時である。そしてどんなに生産的な数学者でも、論文を書き下している期間は、一年のうちでせいぜい一カ月ほどのものである。すなわち、数学の研究は、日々の前進が見えない産みの苦しみばかりなのである。

また、数学は、原則として「全か無か」の世界である。真か偽か、証明できるかできないか、のどちらかしかない。大体できたとか、ほぼ完成したでは論文にならないのである。完璧なものだけが価値を持つのであり、妥協は絶対に許されない。これに反し文学では、完成度が問題となる。ある程度の妥協は可能だが、逆に完璧というものが見えないだけに苦しい面もある。

いかに周到綿密な構想の下に、全精力を傾注して作品を書き上げ、入念なる推敲を重ねても、その作品に絶対的自身を持つなどということはありえないだろう。私は未だに、自分以外の誰かに清書原稿を読んで貰わないと、不安で編集者に手渡すことは出来ない。通常、家族の誰かに読んで貰うが、酷評されるのではないかといつもびくびくしている。父ほど長い作家生活を送っていても、編集者に原稿を渡した後の一両日間はいつも不安そうだった。編集者からの第一報が好評だった時などは、電話を切るなり、

「どうだ、スゴイダロー、絶讃だぞー、天下の新田次郎だー」

と、電話に出る前の深刻な表情はどこへやら、子供のように威張るのだった。

また数学では、長期間の苦闘の末に必ず何らかの成果が上がる、という保証は全くない。その問題が自分の能力や現代数学の水準をはるかに越えたものならば、どんなに才能のある人がいくら時間をかけて頑張っても解決はおぼつかない。時には、正しいと広く信じられ献身的努力をもって証明に取り組んでいる命題が、実は正しくなかったりすることさえある。このようなことは無論、前もって分ることではない。保証のないという不安は、苦闘が長期間にも及ぶと、ほとんど恐怖に近いものとして数学者の心を締めつける。また、この間どんな論文も発表できないから、大学、学会から有形無形の圧力が加えられる。これらに耐えるには、かなりの勇気と忍耐が要る。この恐怖に潰されて、折角ある地点まで到達しながら、攻撃を断念したことは私自身再三ある。

中には勇気ある人もいる。マサチューセッツ工科大学のS教授は、若い頃ミシガン大学に助教授としていたが、古典的難問に取組んでしまい論文を書けなかった。それでも彼は頑固にその難問に執着したから、ついにはミシガン大学を解雇された。ところがその後まもなく彼は画期的解決に成功し、一挙に現在の一流大学へ正教授として迎えられたのである。しかしこれは例外的ケースと言える。大成功を収めるか、あるいは職場、ことによると一生を台無しにするか、などという選択は、よほどの成算でもない限り避けて通るのが普通である。だから、誰もが怖けづいて手を出せなかった世界的難問が、一度誰かにより解決されるや、別証明が次々と発表されたりすることもある。保証のないということが、いかに恐怖心を引起すかの証左であろう。

この点文学の方では、時間と情熱をかけさえすれば、客観的評価はさておき、その人の才能に見合うだけの作品なら、必ず仕上げることが出来ると言えよう。努力と才能に見合っただけの成果が保証されている、ということは私が文学活動をする上でも大きな支えとなっている。ただし、時間をかけさえすればと言っても、原稿には締切りというものがあることは考慮に入れなくてはなるまい。特に雑誌や新聞に連載をしている時は大変である。父の姿を思い出しても、書き下し長篇を手がけている時と、連載を書いている時とは、かなり違っていたような気がする。どちらの時も気合の入っていたことは同じだが、書下しの場合にはそれが自己の内部からどうしようもなくほとばしるようなものであり、連載の場合は、自らの意志で懸命に燃えたたせているようなものであった。連載を引受けていても、健康状態などによっては筆が思うようにはかどらない時がある。こんな時は、「新聞に穴があく」という強迫観念が父にまつわりついて離れようとせず、心配する家族の者が慰めたり力付けたりしても、何の効き目もなかった。いつもの丹前を着て、よろけながら二階の書斎へ階段を昇って行く父の後ろ姿は、子供の私にとってとても恐い光景であった。

数学者のストレスの要因は、長い「産みの苦しみ」の後で、何も産まれないかも知れない、という不安感であり、作家のそれは、一定期間で何かを産まなければならない、という圧迫感であると言えるだろう。一方、没頭すると眠れなくなるというのはどちらにも共通である。数学に打ち込んでいる時には、睡眠中でも数式がぼんやり浮かんだり消えたりしている。そして時々、思いもよらなかったアイデアに打たれてハッと目が覚める。いわゆるインスピレーションである。フランスの大数学者ポアンカレも同様のことを言っているが、彼の場合インスピレーションのほとんどは、後で確かめてみると正しかったという。さすがに歴史に名を残す数学者だけのことはある。私の場合は、睡眠中に得たインスピレーションは、忘れないよう枕元のノートに書き留めておき、目の覚めた後で検証を試みることにしているが、ほとんどが実を結ばない。愚かなアイデアばかりだが、それでも十に一つ位で良いものがあり、百に一つ位は一挙に問題を解決してしまうようなアイデアであったりする。百に一つとは言え、これがあるからこそ、夜中に起き上がって寝ぼけまなこでノートに書き留める、などという面倒をいとわないのである。書き留めでもしない限り、インスピレーションによる興奮のため、朝まで一睡もできなくなる、という事情もある。

また文学に熱中していると、睡眠中でも、その日に書いた原稿の気にかかっている部分などがしきりに浮かんでくる。どうしても巧く表現できかった所に、ぴったりの言葉が見つかったり、情緒感の盛り上がりが不十分だと思っていた所へ、画竜点睛とも言うべき詩的表現がふっと湧いたりする。この時もノートに書き留めるのであるが、数学の場合と異なるのは、このような表現の七割近くが、目の覚めた時吟味しても素晴らしいものであることだ。数学の場合にはせいぜい一割くらいにしかならないものが、文学では七割にもなる、という理由はよく分らない。睡眠中の思考が、本質的には情操型思考であり、論理思考ではないということかもしれない。数学においては、たった一割とはいえ、これがしばしば決定的なことを考えると、何らかの情操力が数学にも強く作用しているということになり、興味深いと言えよう。

数学者と文学者の、生活の違いや苦悩の異なりについては、身近に好い観察材料があったからある程度予想ができた。しかし、数学と文学が仕事として極く自然に両立し得る、と安易に考えていたのは少々楽観的過ぎたようだ。共に芸術の一部門として、美を調和を追求するとは言え、その方法が極端に異なるのである。一言で言えば、数学における方法は、数学的感覚に基づいた論理であり、文学では文学的感性に支えられた表現技術であろう。だから私は、数学に打ちこんだ後では数日間は文学をすることが出来ない。一向に仕事がはかどらないし、筆をとることが苦痛にさえ感じられる。また逆の場合も同様である。すなわち、数学と文学を結ぶ橋を渡るのに数日間を要するのである。従ってそんな時は、机に向かってはいても頭は空転するばかりで仕事は進まず、橋の上を行ったり来たりしながら悩んだり焦ったりしている。これは大変な無駄であり、このノロマぶりでは仕事の両立さえ危うい。この非能率原因を、機敏に方向転換を出来ない私の無器用さに帰着させてしまえばそれまでだが、最近、それだけでは説明し切れないように思えてきた。両者の間に介在する、より本質的な差異が原因となっているらしいのだ。

ある意味で文学の本質は、それが小説であれ詩歌であれ、「人生が有限である」ことに在るのではないだろか。人間には、死というものが一定時間の後に必ずやって来る。死がなければこの世の中からほとんど全ての悲哀、苦悩、孤独が一掃される筈である。不滅の生命が保証されているという事は、常に永遠の未来と可能性を約束されている事だから失恋も失敗も失意もなくなるだろう。喜びとか幸せはこれらの裏返しに過ぎないからもはや鋭く感受されることはあるまい。そして人を愛す必要もなくなるだろう。すなわち、文学の中心的テーマである人間の情緒が、極めて微弱にしか存在しないということになる。従って文学はその存在基盤を失い、また存在意義をも失うに違いない。

このように、文学は死と深い関りを有している。別の角度から言えば、作家が創作をする時、「人生が有限である」という宿命観念を、極めて間接的な形であるにせよ、心底では強く意識しているのではないだろうか。日本の代表的古典である源氏物語、徒然草、奥の細道などを貫く無常は、まさに有限なる人生を正面から見つめたものである。

現代文学でも、注意深く読んでみると、作家の眼が至る所で有限なる人生を意識していることに気付く。ほんのさりげない描写の中に、作家のそんな感性が光っているのである。例えば父の『武田信玄』の中に、武田の軍勢が碓氷峠を越えて関東に進軍してくる場面がある。初めて観る広大な関東平野で、大きな石のごろごろしている甲信しか知らない兵卒が、

「この辺には石がない」

と思わず声を上げる。ある人がこの部分を評して

「作者の科学者としての目がよく行き届いている」

と述べていた。私は、この評論家の目のつけ所のよさに感心したが、同時にいくばくかの落胆を禁じ得なかった。私にはそれが、単なる関東平野と甲府盆地との地質比較、とは思えないからである。この兵は、初めて見る関東ローム層への驚きを越えて、明らかに郷愁の念に駆られている。故郷の石を連想し、ついで故郷の山、川、谷、みなぎる光、そよぐ風にまで想いを馳せ、更には残してきた妻子父母をも想っている。今日も人殺しの遠征を続ける自分、明日の命さえ知れぬ自分を、故郷の悠久なる山河と対比させ、人生の寂寥を感じている。それはまさに作者の思いであり、有限なる人生へのつきせぬ感受性である。

広大なる異国の枯野原を、隊伍を組んで行進する兵と軍馬の群。この勇壮なる姿の中に、寂寥、憂愁をこっそり忍び込ませるのが、作家としての父の真骨頂なのである。いつぞや私が、この解釈を父に問うたところ、口少なに、しかし嬉しそうに微笑んだのを覚えている。読者に感動を与える文学には、必ず作者のこの感受性が、ある時は明瞭な形で、ある時は極めて暗示的にだが、横溢していると言えよう。この感性こそが、人の深奥にある琴線を、最も強く揺さぶるのである。

数学者も文学者も、「永遠なるもの」を希求していることに違いはない。ただ文学者が、「永遠なるもの」を混沌たる人生の内に見出そうとするのに対し、数学者はその外に見出そうとしている。だから数学者が外なる宇宙に透徹した眼を向ける時、内なる混沌は、澄んだ眼を曇らせるばかりである。実際、数学者が新しい理論を構成したり定理の証明をしながら、有限な人生に起因するところの諸々の情緒を意識することは絶対にない。むしろ、「無限」を意識下では仮想していると言えるかも知れない。少なくとも、時間を超越した境地にいることは確かである。数学において、深遠なる真理に到達するには極度の精神集中を必要とするから、人間、時間、空間などはほとんど全てのものから完全に解放された状態にいなければならないのである。しかもその状態を持続させなければならない。それは大変に辛い試練であり、まさに生命の燃焼と言える。そうしないと真理の方が決して動いてくれない。

こう考えてくると、数学と文学にかかる橋を渡り切るのに時間がかかる理由が理解されよう。方法の転換という言わば技術的なことに止まらず、精神構造のかなり深い部分での質変換まで行わねばならないからである。私はまだ、この困難を手際よく処理する方法を見出していない。数学から文学へ移る場合に多少効果のある方法は音楽を聞くことである。音楽と言ってもバッハとかモーツァルトでは駄目で、都はるみとか私の生まれる前に流行した戦前の歌謡曲の方がなぜか効き目がある。何か即効薬があれば有難いのだが、一方ではそんなものは存在して欲しくないという気持ちもある。ともあれ、音楽その他の助けを借りてとは言え、たったの数日間で無現と有限の間を往き来することの出来る私は、ノロマどころか忍者の如き素早さを備えていると言えよう。もっとも、橋を渡り切った積りでいるのは自分だけで、実際は、橋の上でいつまでも右往左往しているに過ぎないのかもしれない。

Used by permission of Sinchosha.